そばはつながる 人もつながる

20代後半から越前(福井県)に住み、様々な反省と、見つめ直すための時間をとりました。その結果(いろいろを重ねているうちに)、目の前に蕎麦というなんとも不思議な穀物が飛び込んでくることに。

たったひとりの師に巡り合うことで、奥行きのある修業時代を過ごすことができました。

 

蕎麦や師匠のちからをお借りしながら、多くの人に出会い、生かされ、次につながってきたような気がします。蕎麦が持っている不思議な力であろうと打ち手の私は思うのです。

 

いろいろな流れを受けて、2008年より京都北部・綾部に移住し、小さな農のある暮らしをしながら、蕎麦会や出張蕎麦給仕、そば打ち教室などを展開してきました。


そして2015年初夏から綾部・志賀郷にて店舗を構えての営業をスタートいたしました。

「そばはつながる・人もつながる」がモットー。
蕎麦のもっている不思議な力を感じ取っていただけるように努めてまいります。

 


私たちは何のためにここで蕎麦屋を

私は何をもってこの世の中に貢献できるのか、人の役に立つことができるのか。

これはいつどこにいても自らに問いかける大切なキーワードです。

大きなことはできなくても小さなことであれば、こんな私にも何かしらできることがあるはずだと思ってはいたものの、なかなか自信をもって口に出せるものが見つかりませんでした。

ようやく手ごたえを感じた術がそば打ちでした。

もがいた分、遠回りした気もしますが、おかげで気づくことも多く、ぶれの少ない方向性が見出せたように思います。

 

さらに礎として私の中に取り入れておきたかった、できるようになっておきたかった米作りをする舞台として、ここ綾部を選びました。と言うよりもほかではなく綾部にご縁があったのでしょう。

暮らし始めて、大人も子どももこの地域の中で、見守られ育てられ応援されていることを強く感じてきました。物心ともに支えられてきたことで、いつかはここ志賀郷で!という思いが強くなっていました。

 

結果、私は農業を真ん中に置いた暮らしの中でそば打ち人としてのスタンスを築こう思いました。店舗を持つまでにはさらに年月を要しましたが、田畑の近くで、自宅の近くで店を構えることができました。

 

農地と蕎麦屋の両方が志賀郷地域内で持てていることをとても嬉しく思っています。

さらに個人的には、当時中学生になった息子が自転車で通学する道沿いに店を構えることができたのも好都合でした。

それぞれの時間であっても、交わることができる点が持てたことが良かったと思っています。

 

といっても、選び抜いてこの場所を店として決めたわけではありません。

 

2014年のお盆でしたが、今までずっとお世話になっていた方からかかってきた1本の電話からすべてが始まっています。H26年度内の期限付きで、ある京都府の補助金を活用して、店舗改装できるかもしれないとのお話。物件として使えそうなところはここしか思い浮かびませんでした。補助金の対象は「農家民宿」か「農家レストラン」を営もうとするものに対しての施設改装のみで、書類申し込み期限は話を聞いた2週間後でした。迷っている暇はありませんでした。私の場合は後者の対象で、今までに取り組んできた小さな農業が功を奏して、一応農家としての実績があったので受け入れてもらえました。

 

期日までに府の職員さんと何度も面会をして、集めなければならない書類や見積もり、図面作成など作業に追われました。

ダメもとで申し込みだけして、それ以上進まなければここまでの話だったのだろうと運だめししました。

他にも多々障害・課題は出てきましたが書類がなんとか通り、予算をつけていただけることになりました。

ただ、年度内の予算から出る補助金です。

府の決済が降りたのが師走で、店舗改装完了の期限は3月一杯。

年末年始を挟んで、実際に工事が始まったのが2月中旬でした。

1ヶ月の工期で果たして間に合うのだろうか・・・・と不安になるばかり。

でも大きなことは信じてお願いした施工会社にお任せするしかありません。その間に自分のできることを進めていくしかありませんでした。なんとかこぎつけることができました。改装に当たっては多くの志賀郷に移り住んだ仲間たちが総出で手伝ってくれました。大工さんが改装に入るまでの数日間で店舗となる民家にあった不要なものの撤去、大掃除、修繕作業など延べ30名近くの方が手を貸してくれました。

 

今思えばよく間に合ったものだと、生み出される力の不思議を感じます。

多くの方々に祝福され、開店初日を迎えることができました。

 

 

ここだからできることがあります。

ここでやってみようと決めた私がいます。

こんなとこだけど行ってみようと思ってくださるお客様が居られます。

これからは、ここだから行ってみようと思ってくださる方がお一人でも増えてくださるように。

そしてここを応援してあげようと思ってくださる方を大事にし、これからも出会っていけるように。

紡いでいける私たち、この場での成長が求められます。

 

これからも綾部・志賀郷でがんばります。

 

 

2015年開店直後の私たち


あれから10年

2025年5月2日に開店10周年を迎えました。
ゴールデンウィーク中に迎える周年記念日も10回目となり、この場所で存在できたことを喜びました。
若かったころの夢を形にし、やりたかったことはおおよそ表現できたように思います。

しかし2020年に突如コロナ禍というものがやってきて、間違いなく飲食店の私たちもその波に飲み込まれました。
2020年5月2日の5周年の記念日はのれんを出すことができず、自粛休業ということで約1か月間の休業期間中の一日となりました。すでにあの頃のことは一体なんだったのか?という寝てみていた夢のような期間に思えますが、当時の私たちは、果たして今後も店は続けられるのだろうか、お客様はあじき堂まで足をお運びくださるのだろうか…という不安な日々でした。

密になってはいけないということで、駐車場近くの店外スペースを整理して、外席を設けました。
箱の中でお食事することに不安がある方にはとても喜んでいただけました。

目的は密にならないお食事スペースを作ることでしたが、春や秋の良い季節には光と風を感じながら食事ができる、あるいは愛犬といっしょに食事ができる、あとは車椅子のまま食事ができるなど、思ってもみなかったメリットをくみ取ってくださったお客様がおられて人気の席になりました。

店内はテーブルを2つ抜くことで空間を作り、開店以降の5年間よりゆったり。スタッフからは給仕がしやすくなりましたと好評に。

ところが、そば屋の大一番の大晦日営業の心配がでていました。

大晦日のこのあたりの気温は0度近くになることもあり、外席はお使いいただけません。

店内の席は2割ほど減っている。

これでは大晦日営業がうまく回せないと判断。

 

バックヤードとして荷物置き場にしていた北側の1部屋の荷物を、幸い手に入れて引っ越ししていたそば屋向かいの自宅の1部屋に押し込んでスペースを作りました。

12月になってから、畳もぶよぶよで床板も腐っているような部屋を大工さんにお願いして、大晦日までに板の間にしてお客様を迎えられる空間にしたいと懇願。

2020年の大晦日は田の字4部屋でお客様をお迎えした初めての大晦日営業となりました。

前後しますが、4月~5月の自粛休業していた1か月間、いつ再開できるかも決めかねる状況で、何もしないまま店をつぶすなんてアホなことだと奮起し、それまでの5年間、製粉された蕎麦粉を仕入れていたのですが、自家製粉をすることに切り替えました。

詳しくは書きませんが、所有していた大型の脱皮機と電動の石臼を店内1室で稼働させることができ、

自粛休業期間中にテスト製粉ができ、機械との付き合い方も慣れてきて、営業再開と同時に石臼挽き自家製粉の蕎麦屋として生まれ変わることができました。


今思えば、私たちにとって突如やってきたコロナ禍は、この商売を続けるために必要な気付きを与えてくれたと言っても過言ではありません。

もしかしたらコロナ禍がなかったら、工夫も努力もしないまま、業績も上がらずもっと苦労していたかもしれません。

 

あじき堂にとって一番の転換期となった2020年を忘れてはいけないと思いこちらに書きました。

続きはまたあらためて